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猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

狐か猫か

そういうアンテナをたてて資料をあさっているからかもしれないが、猫と狐のニアミスしている伝承や由来を目にすることが多い。

近代でも、江口 重幸という人が、国立民族学博物館研究報告(12巻4号 S62年3月発行)という、国立民族学博物館発行の雑誌に寄せている論文で、『嫌いな男から逃れるために週刊誌で見た呪術を用いた24歳の女性が猫憑きになり発病し、四足で歩いたりの記述がある。』と述べているそうだ。これは『精神医学』21巻4号(1979年発行)からの引用という。
…しかし、これ、そもそもは狐憑きになろうとしたものが、猫憑きになったというから、気に入らない。それって、外法を行って失敗したってことじゃん。失敗したら猫が憑いたってことか。
気に入らん。
らんま1/2の らんまが猫拳使うときは猫が憑くみたいだけど、
そもそも、憑く動物のラインナップに我々猫はいないのだよ。
我々は、化けるだけ。憑いたりせずに(だって面倒だもん)、遠隔操作専門なんだけど。

東京の八王子にもこんな話がある。

モリヤの池にはハヤがたくさんおり、毎日釣り人でにぎわっていた。ある日、子供3人が魚釣りに行って帰るとき、どこからともなく「おいてけ」という声がした。子供たちは怖くなり釣った魚をほうって逃げた。そこでおじいさんが確かめにいくと、はたして帰る時に声がした。あたりを見回すと林の中に娘がいた。狐だと思い打ち殺したら、化け猫だった。

≪新井ヤエ媼の昔話: 昔話―研究と資料―通巻10号昔話研究懇話会(三弥井書店)
S56年7月10日発行≫

…なんとなく、おいてけ堀を連想する。

これらの話とは別に、猫が狐のパロディだったという説。
皆さんもよくご存知の縁起物 招き猫。
招き猫の縁起には諸説あるけれど、(豪徳寺の猫・今戸の猫・太田道灌の猫・遊女薄雲の猫)実際に「招き猫」が登場したのは、江戸末期らしく、縁起話は江戸に多いけれど、現存する最古の招き猫は伏見人形(伏見稲荷のお膝元)であり、その招き猫、初辰猫は、稲荷神社で授与されていたらしい。
猫が招くようになる以前にも、招いたポーズではないけれど、猫の焼き物の人形は鼠除けのお呪いとして人気は高かったらしいが、断然人気があったのは狐の人形で、(そりゃそうだ、お稲荷さんの門前で参詣土産に買うのだから)狐が座して前脚をあげ、招く姿をとった人形が招福人形として人気があったらしい。ところが、神聖な狐を象った人形を庶民風情が売買するなどもってのほかであるという御触れが出て、売買できなくなり、狐のパロディとして猫に招く姿をとらせて売ったのがはじまりという説がある。
ただし、この売買禁止に関しては、狐の象の尾を陽物にした像があり、このテの狐像と類する「わらい」と呼ばれる類の像の売買を禁止したという史実があるけれど、狐そのものの像の売買を禁止したという記録はないようだ。いずれにしても、招き猫が流行したのはその後のこと、明治年間であるようだ。案外新しい縁起物なのだ。
しかし、そんなら売買禁止になる前に売られていた招き狐も、背中の模様が花柄だったりいろいろごてごてと描きこまれていたんだろうか?



明治中頃、小樽で絵を描く猫がおり、その猫の姿を人形にしたのが招き猫であるとする説もあるようです。

1893年、小樽のある村に住むよろず屋の主人が、飼い猫のオタキがものした絵を売りに出したが、この絵には、書道の文字のような雰囲気が漂っていた。それにヒントを得た店の主人は、この猫の絵を利用して運勢占いめいたことを始め、店の客寄せに成功を収めた。オタキの才能とこの猫が主人にもたらした富の話は、たちまち国中に広まり、今世紀末頃になると、この猫が絵を描いている姿は客扱いの良さと商売繁盛のシンボルとなった。今日の日本でも、客寄せのおまじないとして、片方の前足を挙げて絵を描く姿勢をとった招き猫を店頭に飾っている店が少なくない。

Heather Busch, Burton Silver/著 Benedikt Taschen
「WHY CATS PAINT」より抜粋
by nekomanisto | 2005-07-12 13:44 | 伝承