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猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

狸と書いて、ねこと読む。

狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_13112459.jpgハクビシン
狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_13113869.jpgマヌルネコ
狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_1312171.jpgユキヒョウ
狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_1318112.jpgアムールヤマネコ

適当な写真がなかったので掲載できませんが、他にもジャコウネコの可愛いリンサン類、これら「山野に生息する猫に似た動物全て」を中国では「」と総称していたらしい。なんちゅう大雑把な…。ここに挙げただけでなく、もっといろんな獣も十把ひとからげだった可能性もある、レッサーパンダだって、パンダだって…(さすがに大熊猫は違うかな)。
「狸」という字が日本に入ってきたとき、すでに本州にはヤマネコもジャコウネコもいなかった(ハクビシンはいますけど)日本人の祖先は、「狸」なるものがうまくイメージできなくて、結果タヌキを「狸」とよび、さらにタヌキとアナグマの名前が狸と貉とごっちゃごちゃになってしまったのかもしれない。

狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_13345171.jpgホンドタヌキ

狸と書いて、ねこと読む。_e0023828_13351716.jpgニホンアナグマ
以上 photo:動物の恋人

日本で初めて猫についての記述があるのは「日本霊異記」ということになっているのだけれど、実際には、表記には狸と書かれており、ねこ とルビがふられている。当時もうすでに「唐猫」は日本に入ってきており、猫と言われれば明確にその容姿を連想できる人々がいたと思われるのだけれど、はて、この「狸」、日本で書かれた物語なので、中国の「狸」を想定していないということは判るのですが、狸か貉か野良猫か、どれだったんでしょうね。
こんなのって、ありなんだろうか…。うしろ膝カックンされたみたいだ…。




理(みち)にあらずして他の物を奪ひ悪しき行(おこない)を為(おこな)ひて悪しき報(むくい)を受け奇(あや)しき事を示(あらわ)す縁(ことのもと)           ―上巻 第30話―

 豊前国宮子郡(注2)の次官に、膳臣(かしわでのおみ)広国という者がいた。藤原宮で政をとられた文武天皇の慶雲二年九月十五日、広国は急死した。が、三日目の申(さる)の刻(注3)に息を吹きかえして、こういった。
 「使いの者、一人は頭の頂に髪を結い上げた者と、童子の二人がやってきた。一緒に道を行き、駅(注4)を二つばかり過ぎたところ、大河に行き当たった。川には黄金で飾った橋が架けられていて、私たちはその橋を渡り、向こう岸へ着いた。そこに一つの国があった。ここは何という国かと使いの者に訊ねると、度南国(どなむこく)だという。その都に着くと、武具を帯びた役人たちが私を追いたてるように道を急がせた。
 やがて、前方に黄金の宮殿が見えてきた。宮門を入ると、黄金の席に一人の王が座っていた。王は、こういわれた。『お前を呼び寄せたのは、お前の妻が私に泣訴したからである』。そして、一人の女を召し出した。見ると、それは昔、亡くなった妻だった。頭の頂から尻に、さらに額から襟首にかけて鉄の釘が刺し通されており、手足も鉄の縄で縛られ、八人の獄卒に担がれてきたのだ。
 『お前は、この女を知っているか?』と王がいった。私は答えた。『はい、私の妻です』。王が、またいった。『お前は、自分が糾問される罪を知っているか?』。『いいえ、存じません』。王は、女に訊ねた。女は、こう答えた。『はい、よく知っています。私を家から追い払った男で、恨めしく、どれほど呪っても呪い足りないほど憎い男です』。
 王は、私に仰せられた。『お前には罪がないから、家に帰ってよい。だが、黄泉(よみ)のことをみだりに人にしゃべるでないぞ。ところで、もし、お前が父に会いたいと思うなら、ここから南へ向かって行け。そうすれば会えるだろう』
 いわれた通り南を指して行くと、果たして父にめぐり合えた。父は、真っ赤に焼けた銅柱を抱かせられて立っていた。さらに、その体には鉄の釘三十七本を突き刺されていて、毎日、獄卒に鉄の杖で朝三百回、昼三百回、夜もまた三百回、合わせて九百回打たれ、責められていた。
 私を見て、父は悲しんでいった。
 『ああ、どうしよう。つらくてたまらない。なぜ、このような苦しみを受けるのか、お前は知っているか。自分は妻子を養うために、あるときは生き物を殺し、また、あるときは八両(注5)の綿を貸して十両の綿を、三斤(注6)の稲を貸しては強引に九斤の稲を徴収し、そのほか人のものを奪い取り、他人の妻を犯し、父母に孝養を尽くさず、目上や年上の人を敬わず、奴婢(ぬひ)ならぬ人を奴婢と罵り、侮った。このような罪のために私はこの体に三十七本の鉄の釘を打たれ、毎日九百回、鉄の鞭で打ちすえられている。痛く、苦しくてたまらない。自分は、いつ免罪になるのだろう。いつの日に安らかになるのだろう。お前は私のため、すぐに仏像を造り、写経して私の罪を償い、この苦しみから救い出してほしい。このこと、ゆめゆめ忘れないでくれよ。私は飢えて、七月七日に大蛇になり、お前の家に行って中へ入ろうとしたとき、杖で引っ掛けて捨てられた。また五月五日、赤犬になって行ったときは、お前は犬を呼び寄せて追い払い、私は飢えに苦しんで帰った。そして正月一日に(注7)になって入り込んだとき、今度は供養のために置かれていたご飯や肉,そのほかいろいろなうまいものをたらふく食べられ、その後、三年間,私は飢えをしのげた。自分は兄弟上下の順を無視して道にはずれた行いをしたため,犬になって糞を食い、糞を出すようになった。よく聞いておくがよい。およそ米一升を施すと、その報酬として三十日分の糧食を得、衣服ひと揃えを施すと一年分の衣服を得る。経を読む者は東方にある黄金の宮殿に住み、のちには願いのままに天に生まれることができ、菩薩像を造る者は西方の無量寿浄土に、生き物を殺さず放つ者は北方の無量浄土に生まれ、一日斎食(注8)する者は十年の糧食を得るだろう』。
 私は善と悪の受ける報いを見て、驚いた。帰り道、大橋に至った。ところが、そこに門を守る衛士がいて、行く手をさえぎり、『いったん中へ入ったものは、再びこの橋を渡ることはできぬ』という。私は立ち往生して、しばらくうろうろしていた。すると、童子が出てきた。衛士は、その童子を見ると跪いて拝礼した。童子は私を門の脇に呼んで、その門の扉を押し開き、『さあ、早く行きなさい』といった。私は、童子に『あなたは、どなたのお子様ですか』と訊ねた。すると、童子はこう答えた。『私は、あなたが幼いときに写経した観世音経である』と。そして、わが家に立ち戻ったと思った瞬間、私はよみがえったのだ」
 膳臣広国は黄泉の国に行き、善と悪の報いを見て、その見聞を書き記した。罪をつくり、その報いを受ける因縁は、大乗経に広く説かれている通りである。だれか信じないものがあろうか。「現在の甘露は、未来の鉄丸なり」(現世の快楽を貪るのは、来世の苦しみにつながる)とお経に説かれているのは、これをいうのである。
 広国は父の後生のために仏像を造り、経文を写し、三宝(注9)を崇めて追善供養を行い、その罪を償った。そして、これ以後、彼も悪行を止め、正道に徹したのである。
                            
注1 奈良薬師寺の僧、景戒によって編まれた仏教説話集。平安時代初期の弘仁年間
   (810-824年)に至る因果応報などに関する話を集めた書。三巻。猫に関しては、
   本書が本邦初出。
注2 現在の福岡県京都郡、行橋市あたり。
注3 午後3時から5時のころ。
注4 旅人の便宜を図るため、馬や舟、人夫を常備しているところ。
注5 両は重さの単位。1斤の16分の1。
注6 斤(きん)は重さの単位。
注7 原文では「狸」と書いて“ねこ”と読ませている。
注8 肉食しないこと。
注9 仏教でもっとも尊敬すべきとする仏・法・僧の三つ。
by nekomanisto | 2005-07-14 13:56 | 猫vs狸