伝説猫スポットへ地図東京都世田谷区豪徳寺2-24-7

招き猫発祥の地(他にもいくつかある)のひとつである豪徳寺へ出かけてみた。

これが正門。他に車が乗り入れられる門と、墓地に直接繋がる裏門とがある。
この寺は、もと貧乏な荒れ寺だったのを、住職が可愛がっていた猫(一説にはその名を
タマというらしい)に向かって、「可愛がられてるんだから、なんか恩返ししてくれ」と言ったもので、(仏に仕える身であるというのに、報いを求めるとはどおいうこっちゃ)猫が立派な檀家(井伊直弼の先祖)を連れてきた。お陰で寺は大きくなり栄えた、という伝承のあるお寺だ。

確かに、最初小さな荒れ寺(とはいえ、昔のお寺の規模がわからないから、現在ある寺が当時としても大きいのかどうかちょっとわからないが)だったというのなら、猫の功績はかなりのものだったろうと思わざるを得ない。都内の23区内、住宅街の中にあって、大きな 「名刹」といってもいい寺だった。ちょうど、さらに正門を入ったすぐ脇、鐘楼の前に三重の塔を建設中だった。見上げた猫氏ではないか。助手も見習うように。(え゛?…わたしがですか)

盂蘭盆会の最終日、送り火の日だったこともあって、境内は線香の香りが漂い、墓参りの人たちが多かったので、ご迷惑をかけてはいけないから、早々に乗り物に収まって、境内を見学する。(蚊も多かったしね)
本堂を正面に見て、左に回りこんだところに、招福堂というお堂があり、そこに「招福猫観音」という看板がかかっていた。いつのまにやら伝説の猫氏は観音様となったらしい。
お堂の戸はガラス格子で、閉まっていたが、両の取っ手のところに小窓が開くようになっており、そこから戸を開けずともお賽銭ができるようになっている。お賽銭をし、今後の学業成就を祈念したついでに、失敬して祠の中を撮影。

見えますか?ご本尊は受付で売っているのと同じ招福猫児(まねぎねこ と読む)だった。両脇には奉納されたらしい大きな招き猫があり、写りきらなかったが、両方のカベにはおびただしい猫の写真や折り紙の招き猫や、数々の招き猫などがぎっしり飾られていた。
お堂の脇に、見事参詣した善男善女の願いを叶えてお役を果たし、ここへ戻ってきた猫たちが並ぶ棚が設えられてあった。

仕事を終えてもまだまだ真面目な顔をして、仕事をしたそうに見える諸氏。

棚はこんなふうに設えられている。

棚の脇にはなんだかリラックスした感じに座った菩薩像があって、
如是畜生發菩提心の文字が読み取れた。その脇に、猫塚らしき石礫があったけれど、ほとんど野ざらし状態で、なんとなく扱いがゾンザイな気がする。もともとこの猫塚はあとから作られたものらしいが、それにしても、三重の塔を建設する前に、このうち捨てられた猫塚の石をなんとかしたほうがよくはないか?
招福堂の門内、はいってすぐの左脇にはちいさな祠があって、そこには三面の仏像があった。正面の顔の頭部には、馬とおぼしきれリーフがあったから、馬頭観音かな?

馬頭観音が招福猫観音の脇に控えておいでになるということなのかな。


ご本尊の祠の両脇に吊るされていた豪徳寺公認の招き猫風鈴。なんだかなさけなさそうな顔で風に揺れていた。恩返ししたのに、吊るし上げ喰らうなんてさ、ってところか。でも風鈴ってもともと魔除だったそうだからね。
受付で小さな2号という招福猫児を頂く。もっと小さな豆というサイズもあったけれど、小さすぎて顔がよくわからないことになっているのでやめにした。助手はそもそもあまり招き猫が好きでないというが、ここの猫はシンプルで可愛らしいと気に入ったようだ。
猫観音の賽銭用小窓の脇にはおみくじの自動販売機があって、(お寺さんなのに御籤とはこれいかに)引いてみると大吉だった。助手のぶんもひいてみると、全く同じ番号の大吉だった。さてはあの自動販売機には8番の大吉しか入ってないなぁ?
後記:H21.2.14 三重の塔は完成しているようですね。猫のおきて東京都世田谷区豪徳寺2丁目所在の豪徳寺は幕末の大老井伊掃部頭直弼公の墓所として世に名高く寺域広く老樹鬱蒼として堂宇荘厳を極め賽者日に多く誠に東京西郊の名刹なり、されど昔時は至って貧寺にしてニ三の雲水修行して漸く暮しを建つる計りなりき、時の和尚殊に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割て猫に与へ吾子のように愛育せしが、ある日和尚猫に向かい、「汝我が愛育の恩をしらば何か果報を招来せよ」と言い聞かせたるが其後幾月日が過ぎし夏の日の午さがり俄かに門のあたり騒がしければ和尚何事ならんと出てみれば、鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗捨てゝ入り来り和尚に向かい謂えるよう「我等今当寺の前を通行せんとするに門前に猫一疋うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり暫く休息致させよ」とありければ和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差し出しけるうち天忽ち雲り夕立降り出し雷鳴し加わりしが和尚は心静かに三世因果の説法したりかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむやがて「我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是偏へに仏の因果ならん以来更に心安く頼み参らす」とて立帰られけるが、是れぞ豪徳寺が吉運を開く初めにしてやがて井伊家菩提所となり田畑多く寄進せられ一大伽藍となりしも全く猫の恩に報い福を招き寄篤の霊験によるものにして、此寺一に猫寺とも呼ぶに至れり。和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其冥福を祈り後世この猫の姿形を作り招福猫児と称えて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁昌、心眼成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。

招福猫児2号をいただいたら、こんな縁起の紙が入っていました。
ちなみに、豪徳寺の豪徳とは、井伊大老の戒名から頂いた名前で、もとは弘徳庵といったそうです。猫に恩返しせい、と言った和尚さんの名は、天極秀道禅師といったそうな。
このお寺の招福猫児の由来にはもうひとつ伝承があります。
井伊直孝が江戸で亡くなって彦根に遺体を運ぼうとした道中、雷雨に遭い、葬列が立ち往生しているときに、老僧が顕れてこれを鎮め、自分は弘徳庵の僧であると告げて去った。それで息子が感銘して弘徳庵を一族の菩提寺に定めた。この道中顕れた僧は猫が化けたものだった、という猫檀家伝承に多いパターンのものです。実際に豪徳寺が栄えたのは直孝の死後だそうで、本当は猫が僧に化けて一芝居打ったという説が真相かもしれません。