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猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

猫の正月

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我々猫にも 正月があるのだそうだ。
もちろん 人間がこしらえた行事で 人間が祝うのだが。

過去確認できているのは千葉県君津郡亀山村(現在の君津市)。10月14日 中の亥の子(月の二番目の亥の日)を猫の正月と言って、輪飾りをして餅を備える風習があったという記述が、昭和12年ごろに採取された話として1955年発行の綜合日本民俗語彙 第3巻に載っている、らしい。翌15日が近隣の神社数社の収穫祭の意味合いの窺える祭祀の日であったことを考え合わせると、重要な節季であったと想像に難くないが、猫自身に対して何を行ったのかは、不明。同じ10月の亥の日、現在の兵庫県辺りではバケモノを祓うために、若者が仮装して村を練り歩くハロウィンによく似た行事を行っていたという記録もある。物忌みに関連があるらしい。

小林一茶が詠んだ句にも出て来るそうだが、信州地方には、猫に「年をとらせる」風習があった。
といっても、家中の家財道具だの、家畜だの、鼠だのにも「年を取らせる」そうだから、我々猫だけに対して何かをするということではない。信州・信濃 各地方によって細かな作法に違いがあるが、作法に則って「歓待」し、新年の福を呼び込む、農作果樹養蚕の豊作を予祝するものであったらしい。
時期は新暦の大晦日であったり、正月の14日から3日間の小正月であったり、多少のズレがある。面白いのは長野地方にあって、北安曇野地方だけは、他の家畜や鼠、家財道具に年をとらせても、猫にだけは年を「とらせるものではない」といって猫は除外していたらしいことだ。
年をとらせる、年をとるというのは、年の替り目に諸神を迎え、祭る、依り憑かせるなどの意図があり、厄を祓い、新しい生命を吹き込むという意味もある。
だからわざわざ害獣である鼠を歓待して、この日ばかりは「ご馳走」を供えるのだ。供物をよく食べていれば、この年は豊作となるという。歓待するから祟らないでくれ、つまり悪さをしないでくれ、ということなのだ。だから、鼠に遠慮して猫は歓待しないという地方もあれば、逆に我々をも歓待して、「政治的バランス」を保ち、我々猫に対しても 歓待するから今年も宜しくね、という姿勢で臨む地方もあったということらしい。

どうも我々猫は、家の内に在って、その家の厄を負う家畜とみなされていたフシもある。
昔、張子の犬などを枕元に置き、自分の身の穢れをその張子に吸い取らせて厄を祓うという風習があった。同様に人と同衾あるいは枕元に丸まって眠り、文字通り寝食をともにしていた我々も、人の穢れを吸い取ったとみなされていたようだ。 …まぁ よくもそう都合よく考えるもんだな、ニンゲンって。ただ 我々は人といるほうが安楽だから、傍にいるだけなんだけど。
猫を「ナデモノ」と言ったのも猫を撫でて自分の厄や穢れを祓うのに使ったことからきているらしい。ナデモノというのは、もともと、身を撫でて厄を祓い捨てるための紙製のヒトガタや衣服のことを指す。

厄年の者が2月1日にもう一度年取りをして、厄を祓う年重ねの祝いというのがあるが、東北地方ではその日を猫の年とりといい、猫にご馳走をする風習があったところもあるらしい。これなんかも、我々に自分らの厄や穢れを負わせて助かろうという魂胆だろう。

多少はそういうことして気が差すのか、廿日灸といって、正月20日に体内の悪気を祓うために灸をすえるという行事を行う地方では、その日、犬猫にも灸をするのだという。迷惑な話だ。
犬は知らないが、我々猫族は、我々の作法に則って、日々穢れは舐め落としているのだから、灸なんか要らないし、悪いが人間の穢れや厄の面倒までは見てないよ。

今年はきっちり更新するよう、きつく助手に言い渡しました。
本年もどうぞ宜しく。 猫目堂主人 かー 拝
by nekomanisto | 2007-01-17 00:11 | 伝承