猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

カテゴリ:伝承( 8 )

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『喋っちゃ悪いか』 『いえ、とんでもございません』

ある武士の家では鼠の害に遭っても絶対に猫を飼わないので、なんで猫を飼わないのかと尋ねたら、なかなか理由を言わない。しつこく聴いたら、祖父の遺言なのだと白状した。
なんでも、祖父の代には猫を飼っていたのだそうだが、ある日、縁がわに雀が2.3羽遊んでいたのを、その猫が狙って飛び掛ったが、逃げられてしまい、まるで小さい子のような声で「残念!」と言ったようだったので、祖父が驚いて猫をとっ捉まえて、火箸を構え、「ケモノの癖に喋るとは怪しいヤツ」と殺してしまおうとしたら、その猫が「今まで喋ったことなんかなかったのに」と言ったもんだから、祖父がびっくりして思わず押さえつけていた手を緩めてしまった。そのすきに猫はどっかへ逃げ去って、二度と戻ってこなかったということがあったので、以後猫を飼ってはいけないという遺言があるのだ。 ということだった。

という話が耳袋に書かれているそうな。
耳袋というのは、江戸時代、根岸ヤスモリ(漢字がありません)という旗本が、天明から文化にかけての30年間に伝聞だの都市伝説みたいなものだの書き溜めた、覚え書きのようなものだそうな。

「猫が喋る」という化け猫の話が沢山日本にはあるけれど、私(助手)が理解できないのは、何故猫が喋ったからといって、慌てて殺してみたり追放してみたりしなければならないのか、という部分であります。喋ったら、嬉しいじゃん?
時々、私(助手)は先生にこっそりお願いしてみるんですけどね。
誰にもバラさないから、遠慮しないで喋ってちょうだいな と。

More:猫の怪異の事
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by nekomanisto | 2009-01-24 00:22 | 伝承

猫の正月

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我々猫にも 正月があるのだそうだ。
もちろん 人間がこしらえた行事で 人間が祝うのだが。

過去確認できているのは千葉県君津郡亀山村(現在の君津市)。10月14日 中の亥の子(月の二番目の亥の日)を猫の正月と言って、輪飾りをして餅を備える風習があったという記述が、昭和12年ごろに採取された話として1955年発行の綜合日本民俗語彙 第3巻に載っている、らしい。翌15日が近隣の神社数社の収穫祭の意味合いの窺える祭祀の日であったことを考え合わせると、重要な節季であったと想像に難くないが、猫自身に対して何を行ったのかは、不明。同じ10月の亥の日、現在の兵庫県辺りではバケモノを祓うために、若者が仮装して村を練り歩くハロウィンによく似た行事を行っていたという記録もある。物忌みに関連があるらしい。

小林一茶が詠んだ句にも出て来るそうだが、信州地方には、猫に「年をとらせる」風習があった。
といっても、家中の家財道具だの、家畜だの、鼠だのにも「年を取らせる」そうだから、我々猫だけに対して何かをするということではない。信州・信濃 各地方によって細かな作法に違いがあるが、作法に則って「歓待」し、新年の福を呼び込む、農作果樹養蚕の豊作を予祝するものであったらしい。
時期は新暦の大晦日であったり、正月の14日から3日間の小正月であったり、多少のズレがある。面白いのは長野地方にあって、北安曇野地方だけは、他の家畜や鼠、家財道具に年をとらせても、猫にだけは年を「とらせるものではない」といって猫は除外していたらしいことだ。
年をとらせる、年をとるというのは、年の替り目に諸神を迎え、祭る、依り憑かせるなどの意図があり、厄を祓い、新しい生命を吹き込むという意味もある。
だからわざわざ害獣である鼠を歓待して、この日ばかりは「ご馳走」を供えるのだ。供物をよく食べていれば、この年は豊作となるという。歓待するから祟らないでくれ、つまり悪さをしないでくれ、ということなのだ。だから、鼠に遠慮して猫は歓待しないという地方もあれば、逆に我々をも歓待して、「政治的バランス」を保ち、我々猫に対しても 歓待するから今年も宜しくね、という姿勢で臨む地方もあったということらしい。

どうも我々猫は、家の内に在って、その家の厄を負う家畜とみなされていたフシもある。
昔、張子の犬などを枕元に置き、自分の身の穢れをその張子に吸い取らせて厄を祓うという風習があった。同様に人と同衾あるいは枕元に丸まって眠り、文字通り寝食をともにしていた我々も、人の穢れを吸い取ったとみなされていたようだ。 …まぁ よくもそう都合よく考えるもんだな、ニンゲンって。ただ 我々は人といるほうが安楽だから、傍にいるだけなんだけど。
猫を「ナデモノ」と言ったのも猫を撫でて自分の厄や穢れを祓うのに使ったことからきているらしい。ナデモノというのは、もともと、身を撫でて厄を祓い捨てるための紙製のヒトガタや衣服のことを指す。

厄年の者が2月1日にもう一度年取りをして、厄を祓う年重ねの祝いというのがあるが、東北地方ではその日を猫の年とりといい、猫にご馳走をする風習があったところもあるらしい。これなんかも、我々に自分らの厄や穢れを負わせて助かろうという魂胆だろう。

多少はそういうことして気が差すのか、廿日灸といって、正月20日に体内の悪気を祓うために灸をすえるという行事を行う地方では、その日、犬猫にも灸をするのだという。迷惑な話だ。
犬は知らないが、我々猫族は、我々の作法に則って、日々穢れは舐め落としているのだから、灸なんか要らないし、悪いが人間の穢れや厄の面倒までは見てないよ。

今年はきっちり更新するよう、きつく助手に言い渡しました。
本年もどうぞ宜しく。 猫目堂主人 かー 拝
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by nekomanisto | 2007-01-17 00:11 | 伝承

山猫を飼いならす話

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Photo:動物の恋人  『オレも飼われていたかもね』 byアムールヤマネコ

中国での猫ルーツを調べていたら、やはりありました。
ヤマネコの仔を山から獲って来て、飼いならして鼠退治させていたという記述が。多分、飼いならされていたのはベンガルヤマネコ系のヤマネコたちだと思われます。
当然、あとからはインドからやってきたであろう、エジプト原産の「イエネコ」との混血もあったのではないかと。ヤマネコを飼いならすというのがいつごろからあったことなのか、今わかっている範囲では唐の時代までしか遡れませんが、おそらくもうすこし以前から行われていたことではなかったかと思います。最初は人の残飯を漁りにヒトザトに出てくるうち、馴れたものもあったかもしれませんし。

日本に、ベンガル系ヤマネコが殆どいなかった(絶滅済みだったはず)だというのですから、日本へ仏教伝来以前、貝塚のころにまで遡って猫が渡って来た可能性を考えつかないと、辻褄があわない。僕は仮説として、弥生の人々が僕らの先祖を(おそらくまだヤマネコ状態の)連れてきたのではないかと思っているのですがね。
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by nekomanisto | 2005-08-08 17:41 | 伝承

獅猫 -愛玩専用の猫-

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photo:動物の恋人

まぬる猫。アジア系長毛種のネコの源という説があります。これは仔猫らしいのですが、これはまぁマシなほうで、マヌルネコってサイト検索すると「ナニがそんなに気に食わないんだ?」と訊きたくなるような、苦悩に満ちた、若しくは単に不機嫌そうなブブブっとした顔の写真があちこちにあります。ぶすかわいいマヌルネコの赤ちゃんを見てきた | Excite エキサイト
ファンも多いみたいです。日本の猫…イエネコの歴史について、ちょっと思案投げ首状態なので、気を取り直して、では唐猫について調べてみようと思い立ちここ数日費やしていたのですが、中国が南宋時代のころ、(1127~1279)都の王公顕貴や諸司の人々が愛玩専用に珍重し可愛がっていた、「ネズミをとらない」(と わざわざ書かれている)『獅猫』(獅子猫という表記もあり)とよばれる猫がおりました。毛が長く、黄白色をしていたそうです。『獅猫』は「西洋諸国」に産すると伝えられていたそうですから、今でいう、ターキッシュ・バンとかチンチラのもとになるような猫だったのでしょうか。既に、このころには、猫をペットとして売る専門の商人『売猫児』、猫の餌用の魚を専門に商う『猫魚』、(魚?! すでにこのころから猫は魚を食べていたのか…じゃぁ、今更魚はいけません!っていったって、アジア圏で暮らす僕らはかなり魚食にも適応しているはずですよ。ちなみに僕は魚はかつをとわかさぎのにぼしが好きです。)猫の小屋専門業者の『猫窩』などがいたことが記録に残っています。珍奇な猫の噂をきけば、金に糸目をつけず手に入れようとした様子も残っています。

中国では、猫を最初に連れてきたのは三蔵法師という説があるそうです。まさに経巻を守らせるためにインドから連れ帰って飼ったものが最初であるということだそうです。
…だとすると、中国に仏教が伝来したのが紀元前ぎりぎりごろ、そのころ縄文・弥生時代の真っ只中だった日本と中国との間に交易があったとは考えにくいし…いや、でも倭の奴国王(どうしてもこれ、やっこ国王と読んでしまう)が後漢から金印を貰った頃には中国本土に猫はいたはずで、金印と共に、渡航の食料を船に巣食うネズミから守るために猫が乗ってきた可能性もないとはいえない…これが、日本最初の猫バカだった宇多天皇をして、「そんじょそこらの猫」といわしめた「和猫」の祖先になった可能性はあるといえる。
でも、貝塚でネコの骨が出土する説明にはならないか…。

しかし、中国には猫のモトといわれる猫と同じ系統のヤマネコ達が多数生息していたわけだし、独自に「イエネコ」化していたヤマネコたちが普通に棲息していた可能性もありますね。
それなら、弥生の人々がそれら「猫」たちを連れて渡って来た可能性もあるわけで…。
香箱を作れるか作れないかで猫が動物学的に二系統に別れるという説もありますから 猫はエジプト原産とは限らないかも知れないですね。
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by nekomanisto | 2005-08-08 15:11 | 伝承

日本最初の猫嫌い

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書物に残る、日本最初の猫嫌いは、今昔物語に出てくる「猫恐の大夫」(ねこおぢのたいふ)と笑われている藤原清廉(きよかど)。猫を見ると、どんな場合でも顔を被って逃げ出してしまうので鼠の生まれ変わりと噂されたとか。
オカネモチだというのに年貢を全然おさめなかったこのおっさん、国司藤原輔公(すけきみ …親戚か?)に膝詰談判され、それでも払わないとつっぱねたら、輔公から猫責めにあって、泣きながら証文を書いたんだそうだ。

その時に脅しに使われた猫は長さ1尺あまりの大きな猫で、琥珀色の目をしていたそうだ。それが5頭部屋に入ってきたそうだから、キライだったというか強がっていた清廉は、そりゃ泣き出すよね。ちょうど僕ぐらいの大きさだけど、それでも当時はかなりの大猫だったのだろうか。
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by nekomanisto | 2005-07-28 20:38 | 伝承

日本最初の猫バカ

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『台風がきているんだってね。蒸し暑くてかったるくって仕様がない。』

日本で最初に猫バカぶりを後世に遺してしまったのは、宇多天皇らしい。
そう言ったら、助手が妙な顔をした。理由をきいたら、母方の先祖が遡って遡っていくと宇多天皇であるらしいのだという。「姓は源氏宇多天皇が後胤、」で始まるらしい。助手の母親もその先は忘れてしまっているらしいが、そこから延々と時代が下って助手に行き当たる。知らなかった、助手は皇族の出なのかときいたら、なんのことはない、殆どの日本人は遡れば必ずどこかの天皇にいきあたるようになっているということらしい。それがよりによって宇多天皇だというのが「なんか因縁を感じるなー」とぼやいていた。
ところで、この猫、当時猫といえば浅黒い猫ばかりであったのに対し(浅黒い?)墨のように真っ黒だったらしい。大きさは長さ1尺5寸、高さ6寸、背をそびやかすと高さは2尺ばかりにもなる、と書いてある。なんだかむちゃくちゃだ。長さ45.5㎝、高さ16㎝では、マンチカンじゃないか。それが背を伸ばすと50㎝を超える?ゴム製の人形じゃあるまいし…。いずれにしても、どちらかといえば小柄な猫であったことは確かなようだ。奈良時代に日本へ渡って来たらしい我々の先祖は、経典を守って日本へ渡って後、そのまま日本でくらすうち、故郷の唐の猫とは体格や体色のが異なってきていたのだろう。だから唐猫の姿が特別な姿として皇族はじめ貴族方にウケたものであるようだ。しかし、浅黒いってどんな色なんだ。もうちょっとちゃんと描写せんかい。
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by nekomanisto | 2005-07-26 23:45 | 伝承

狐か猫か

そういうアンテナをたてて資料をあさっているからかもしれないが、猫と狐のニアミスしている伝承や由来を目にすることが多い。

近代でも、江口 重幸という人が、国立民族学博物館研究報告(12巻4号 S62年3月発行)という、国立民族学博物館発行の雑誌に寄せている論文で、『嫌いな男から逃れるために週刊誌で見た呪術を用いた24歳の女性が猫憑きになり発病し、四足で歩いたりの記述がある。』と述べているそうだ。これは『精神医学』21巻4号(1979年発行)からの引用という。
…しかし、これ、そもそもは狐憑きになろうとしたものが、猫憑きになったというから、気に入らない。それって、外法を行って失敗したってことじゃん。失敗したら猫が憑いたってことか。
気に入らん。
らんま1/2の らんまが猫拳使うときは猫が憑くみたいだけど、
そもそも、憑く動物のラインナップに我々猫はいないのだよ。
我々は、化けるだけ。憑いたりせずに(だって面倒だもん)、遠隔操作専門なんだけど。

東京の八王子にもこんな話がある。

モリヤの池にはハヤがたくさんおり、毎日釣り人でにぎわっていた。ある日、子供3人が魚釣りに行って帰るとき、どこからともなく「おいてけ」という声がした。子供たちは怖くなり釣った魚をほうって逃げた。そこでおじいさんが確かめにいくと、はたして帰る時に声がした。あたりを見回すと林の中に娘がいた。狐だと思い打ち殺したら、化け猫だった。

≪新井ヤエ媼の昔話: 昔話―研究と資料―通巻10号昔話研究懇話会(三弥井書店)
S56年7月10日発行≫

…なんとなく、おいてけ堀を連想する。

これらの話とは別に、猫が狐のパロディだったという説。
皆さんもよくご存知の縁起物 招き猫。
招き猫の縁起には諸説あるけれど、(豪徳寺の猫・今戸の猫・太田道灌の猫・遊女薄雲の猫)実際に「招き猫」が登場したのは、江戸末期らしく、縁起話は江戸に多いけれど、現存する最古の招き猫は伏見人形(伏見稲荷のお膝元)であり、その招き猫、初辰猫は、稲荷神社で授与されていたらしい。
猫が招くようになる以前にも、招いたポーズではないけれど、猫の焼き物の人形は鼠除けのお呪いとして人気は高かったらしいが、断然人気があったのは狐の人形で、(そりゃそうだ、お稲荷さんの門前で参詣土産に買うのだから)狐が座して前脚をあげ、招く姿をとった人形が招福人形として人気があったらしい。ところが、神聖な狐を象った人形を庶民風情が売買するなどもってのほかであるという御触れが出て、売買できなくなり、狐のパロディとして猫に招く姿をとらせて売ったのがはじまりという説がある。
ただし、この売買禁止に関しては、狐の象の尾を陽物にした像があり、このテの狐像と類する「わらい」と呼ばれる類の像の売買を禁止したという史実があるけれど、狐そのものの像の売買を禁止したという記録はないようだ。いずれにしても、招き猫が流行したのはその後のこと、明治年間であるようだ。案外新しい縁起物なのだ。
しかし、そんなら売買禁止になる前に売られていた招き狐も、背中の模様が花柄だったりいろいろごてごてと描きこまれていたんだろうか?

More:招き猫由来異説
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by nekomanisto | 2005-07-12 13:44 | 伝承

猫か狐か

燕石十種(えんせきじっしゅ。随筆雑著集。3巻。岩本佐七編、達磨屋五一補助。文久3年(1863年)成立。10部を1輯とし、6輯60種の近世俚俗の珍書を集めた書)の中にこういった内容のくだりがあるそうだ。

 猫、きつねを産む             ― 江戸塵拾 巻之五 ―

 目黒大崎という所に徳蔵寺という禅宗の寺があり、この寺に数十年生き長らえたまだら毛の猫がいたが、常に山に入って遊んでいた。
 明和元年(1764年)春、この猫が子を産んだ。ところが、この子猫は毛色は普通の猫のように白黒まだらなのだが、姿は猫ではなく狐で、まことに珍しい猫であった。
 この親猫は常に山に入って遊んでいるうちに、きつねと交合したのだろうと人々は言い合った。

んなばかな。我々が狐と子をなすわけがなかろうに。

猫稲荷、と呼ばれる「お稲荷さん」が日本の各地に点在しているらしい。東京にも お江戸日本橋堀留にある。共に稲を鼠害から守る益獣だっただろうから、どっちを祀ってもご利益はあっただろう。

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助手がこの春に京都祇園の祇園会館の裏手、安井金毘羅宮のわきっちょのお稲荷さんで写した灰色猫。不躾にカメラを向けて眼光鋭く睨まれてしまったらしいので、おもいきり狐面のような顔に撮れている。

日本の話ではないが、中国の神話に出てくる八狐子というバケモノが、狐とあるが、正体は目の赤い白猫だという。これは病を運ぶ「猫鬼」の一種で、ごく最近(といっても100年以上前)にもこれの精神病理学的な臨床例がある。
赤目の猫というのはきいたことがないが、妖獣、霊獣の白狐、いわゆるおきつねさん、お稲荷さんそっくりの容姿ではないか。

More:八狐子
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by nekomanisto | 2005-07-11 13:20 | 伝承