猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

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『ああっ、ちょ、ちょっと、そんなところに乗っては…』
『なんだよ。我々の正式な挨拶をしようとしているだけだぞ。』

まだ僕がこの世に生まれてすらいないころ、助手が青梅をドライブしていた際に、「あおめまねき」という小さな絵馬をみたことがあるのを思い出したという。青い目の招き猫が描いてあったその絵馬を何の気なしに買って前の車にぶらさげていたのだそうだ。その絵馬は車と共に今はもうないという。助手の記憶力の悪さを叱りつつ、猛暑の中休みを利用して行ってみた。
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阿於目猫祖神は住吉神社の境内にある。ここ青梅の住吉神社は、住吉神社青梅大祭で有名な大きな神社で、応安二年(1369)町内住吉山延命寺開山季竜が寺門守護のため故郷堺(大阪)の住吉大社の神を勧請奉祀したのに始まる(鎮座)。永正十年(1513)時の三田領五七ケ村領主、勝沼城主三田弾正氏宗、政定父子の協力にて当時の青梅村民が拝殿を改修、青梅村総鎮守とした。という由緒がある。御祭神は、底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后 。(すみません、神功皇后以外よめません) ということになっているけれど、二の鳥居の前には猿田彦命と掘られた石がどかっと置いてありました。e0023828_20323079.jpg
→猿田彦命。
その石の脇を通り抜けてすぐのところ、本殿へ向かう階段の根元のところで、両脇に青目猫の大黒様と恵比寿様が控えて居られる。そしてその脇に、⇒招福猫殿 の文字が。
生憎平日のこととて招福猫殿社務所は固く閉ざされていましたが、小さなお社には束帯姿の猫が。手にはマタタビ(?)を持って。ううむ、お茶目。橘と桃の造花も左右に添えてあるし、紋が梅だし、これはもしかしたら、猫天神なのだろうか?

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もともと、この住吉神社が勧請されたときに一緒にやってきて神前に供えられた供物を食い荒らすネズミから神社を守ってきた猫の一族が、阿於目猫祖神となったという縁起はあるようだけれど、猫恵比寿も猫大黒も、この猫天神も近年になって作られたもののようだ。以前にどんな祀られ方をしていたのかは定かではない。数年前に町おこしのイベントで、猫祭りと称して付近一帯を萩原朔太郎の小説「猫街」にちなんで猫だらけにしたところ、大盛況だったそうなので、その頃に再建したものかもしれない。(街の至るところにその名残がある。)
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本殿は清げな神社でありました。ここも時間が遅かったせいか、社務所は固く閉まっており、御参りだけして退散。
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大黒様。
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恵比寿様。

e0023828_21142988.jpgこんなのぼりも林立していたので、観光的に力を入れている様子は伺えます。興味あるのは、本当にこの神社を守っていたのが青眼の白猫だったという伝説があるのかどうか、ということ。単なる「青梅」の語呂合わせだったらがっかりなんですが、もし本当に青眼(銀眼)の白猫だったら、聴覚弱かったんじゃないかな、そんなんで鼠からお供物守れたのかな、というところが気になるわけです。


e0023828_2120392.jpgどうやらこれが、神社で配布する招き猫であるらしい。通りの並びにあった信用金庫のショーウィンドウに飾られておいででした。なんで平安朝なのかな。住吉神社が平安時代に鎮座されたからだろうか…。


e0023828_21231916.jpgこれが御札らしい。なんだかこの御札はちょっと欲しい。今度、七 五 三の頃にでも来て見ようか。ちょうど 僕、3歳だし。

More: 住吉大社・住吉神社
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by nekomanisto | 2005-08-30 21:25 | - 青梅 住吉神社

猫と浮世絵

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うるささう 月岡芳年 明治21年

原宿にある太田記念美術館に行って来ました。「浮世絵にみる愛されるペット」という企画展が開催されていたからで、これはきっと国芳の猫浮世絵なんかもあるに違いない、と思ったわけです。
浮世絵というと、江戸時代のもの、という感覚がぬぐいがたくあるのですが、実際には明治年間においてもかなり盛んだったようで、明治時代の作品も沢山ありました。
実際に、絶対数が一番多いのかどうかは判りませんが、展示されていた浮世絵 或いは肉筆画に描かれていた「ペット」の大半を占めていたのは猫で、わたしはその描かれている猫の毛色と尻尾にばかり目をやっておりました。
やっぱり、圧倒的に白黒ブチの猫が多い。尻尾も短くて巻いている イマドキにいうと、「かぎしっぽ」の猫が圧倒的に多いです。シマ猫は 1匹しか展示されておらず、まるでトラみたいな顔に描かれていて、(顔つきがコミカルで可愛かったですが)他の猫とは違いました。
浮世絵などの資料を散漫に見ていて、かーがシマシマと白斑の猫であるからか、自然とそういう猫を探しますが、そういう画にはあまり行き当たりません。近代以前の日本には、しまねこがいなかったのか??? と最初は早合点しそうになりましたが、どうもそういうことではなく、絵師たちの好みであるとか、当時の流行であるとかが大いに反映されているようです。そりゃそうですよね、猫のシマシマ柄って、いちばんありふれているはずですし、だからこそシマシマ猫というのは 画材としてあまり歓迎されなかったかもしれません。日本画としては、ごちゃごちゃしすぎだろうし…。
浮世絵に描かれたペット、ということで、さぞ歌川国芳の作品が多かろうと思ったのですが、実際にはさほどでもありませんでした。この美術館自体が、個人の収蔵作品を展示しているものなので、収蔵されていた方の好みによる淘汰も当然そこにはありますし。展示作品を拝見する限り、あまりケレン味のあるものは好まれなかったようですから、国芳はお好みではなかったとしても、「そうかもねー」という感じでした。
歌川国芳という人は、猫好きで知られた絵師だったようですが、遺された作品も、なかなか変わったものが多くて面白いです。猫を描いた戯画も数多いようですが、一番わたしが気に入っているのがこれです。中央にある「ニャロメ」のような猫又の絵。
これは当時ご禁制だった役者の似顔絵を落書きにみせかけて描いたもので現存するものは3種類あるようですが、そのうちの一枚にこのネコマタ君がいます。ちゃんとてぬぐい被っているし、尻尾も二股だし、これはなかなかに貴重な資料です。(by 助手)
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by nekomanisto | 2005-08-14 22:38 | 付箋

仮説途中のメモがき

一般的に 猫が日本にやってきたのは仏教の伝来と共に、経典と抱き合わせで(?)ということになっているが、貝塚からの猫の骨の出土、それ以前に「ヤマネコ」の存在が日本(ツシマ・イリオモテジマなど南の島嶼部を除く)にはなかったこと から考えると縄文~弥生時代、大和朝廷建国以前にどこかからやってきていた可能性が否定できない と 考える。

しかし なんで南の島嶼部以北でヤマネコが絶滅したのだろう?
絶滅するにはそれなりの 生存できない理由があったと思うのだけれど。

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by nekomanisto | 2005-08-11 13:39 | 仮説

山猫を飼いならす話

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Photo:動物の恋人  『オレも飼われていたかもね』 byアムールヤマネコ

中国での猫ルーツを調べていたら、やはりありました。
ヤマネコの仔を山から獲って来て、飼いならして鼠退治させていたという記述が。多分、飼いならされていたのはベンガルヤマネコ系のヤマネコたちだと思われます。
当然、あとからはインドからやってきたであろう、エジプト原産の「イエネコ」との混血もあったのではないかと。ヤマネコを飼いならすというのがいつごろからあったことなのか、今わかっている範囲では唐の時代までしか遡れませんが、おそらくもうすこし以前から行われていたことではなかったかと思います。最初は人の残飯を漁りにヒトザトに出てくるうち、馴れたものもあったかもしれませんし。

日本に、ベンガル系ヤマネコが殆どいなかった(絶滅済みだったはず)だというのですから、日本へ仏教伝来以前、貝塚のころにまで遡って猫が渡って来た可能性を考えつかないと、辻褄があわない。僕は仮説として、弥生の人々が僕らの先祖を(おそらくまだヤマネコ状態の)連れてきたのではないかと思っているのですがね。
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by nekomanisto | 2005-08-08 17:41 | 伝承

獅猫 -愛玩専用の猫-

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photo:動物の恋人

まぬる猫。アジア系長毛種のネコの源という説があります。これは仔猫らしいのですが、これはまぁマシなほうで、マヌルネコってサイト検索すると「ナニがそんなに気に食わないんだ?」と訊きたくなるような、苦悩に満ちた、若しくは単に不機嫌そうなブブブっとした顔の写真があちこちにあります。ぶすかわいいマヌルネコの赤ちゃんを見てきた | Excite エキサイト
ファンも多いみたいです。日本の猫…イエネコの歴史について、ちょっと思案投げ首状態なので、気を取り直して、では唐猫について調べてみようと思い立ちここ数日費やしていたのですが、中国が南宋時代のころ、(1127~1279)都の王公顕貴や諸司の人々が愛玩専用に珍重し可愛がっていた、「ネズミをとらない」(と わざわざ書かれている)『獅猫』(獅子猫という表記もあり)とよばれる猫がおりました。毛が長く、黄白色をしていたそうです。『獅猫』は「西洋諸国」に産すると伝えられていたそうですから、今でいう、ターキッシュ・バンとかチンチラのもとになるような猫だったのでしょうか。既に、このころには、猫をペットとして売る専門の商人『売猫児』、猫の餌用の魚を専門に商う『猫魚』、(魚?! すでにこのころから猫は魚を食べていたのか…じゃぁ、今更魚はいけません!っていったって、アジア圏で暮らす僕らはかなり魚食にも適応しているはずですよ。ちなみに僕は魚はかつをとわかさぎのにぼしが好きです。)猫の小屋専門業者の『猫窩』などがいたことが記録に残っています。珍奇な猫の噂をきけば、金に糸目をつけず手に入れようとした様子も残っています。

中国では、猫を最初に連れてきたのは三蔵法師という説があるそうです。まさに経巻を守らせるためにインドから連れ帰って飼ったものが最初であるということだそうです。
…だとすると、中国に仏教が伝来したのが紀元前ぎりぎりごろ、そのころ縄文・弥生時代の真っ只中だった日本と中国との間に交易があったとは考えにくいし…いや、でも倭の奴国王(どうしてもこれ、やっこ国王と読んでしまう)が後漢から金印を貰った頃には中国本土に猫はいたはずで、金印と共に、渡航の食料を船に巣食うネズミから守るために猫が乗ってきた可能性もないとはいえない…これが、日本最初の猫バカだった宇多天皇をして、「そんじょそこらの猫」といわしめた「和猫」の祖先になった可能性はあるといえる。
でも、貝塚でネコの骨が出土する説明にはならないか…。

しかし、中国には猫のモトといわれる猫と同じ系統のヤマネコ達が多数生息していたわけだし、独自に「イエネコ」化していたヤマネコたちが普通に棲息していた可能性もありますね。
それなら、弥生の人々がそれら「猫」たちを連れて渡って来た可能性もあるわけで…。
香箱を作れるか作れないかで猫が動物学的に二系統に別れるという説もありますから 猫はエジプト原産とは限らないかも知れないですね。
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by nekomanisto | 2005-08-08 15:11 | 伝承

称名寺

いつごろから「ネコ」が日本にいたのかで、途方に暮れていたので、ちょっとそれは脇へおいといて、唐猫の伝説があるお寺さんに行ってきた。

称名寺 神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1 地図
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ここは もと北条実時の別荘に持仏堂を建てたのがその縁起だそうだけれど、現在は昭和47年に国指定の史跡となって、古文書をもとに復元された姿となっている。
復元が完全に終了したのかしていないのかわからないのだけれど、本堂の他に、妙な場所に祠だの若宮だのが ぽつりぽつりと建っている。
建立は1267年。そして寺に収める経典を載せた3艘の唐船がやってきたのだが、その船には経典を鼠から守るために連れてこられた唐猫がいたという伝説がある。唐船は唐猫を経典と共に金沢に遺して唐へ戻り、残った唐猫たちの子孫が「金沢の唐猫」として有名になったという。

ということになっているのだけれど、(手許にある参考書では)寺周辺に猫の姿はなく、唐猫伝説云々に関する資料も見当たらなかった。ご住職も大黒さんも見当たらず、話をきくことはできなかった。
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山門脇に打ち捨てられていた石のお稲荷さん。一瞬猫かと思ってしまった。
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池には、わたしも昔飼った事のある「ミドリガメ」の成長した姿。たしかこの亀、獰猛なんだとかきいたような気が…
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『すいません、ここに、唐猫の伝説があるって、ご存知ないですか?』
『ないねぇ』

今回は、非常に暑かったため、かー先生は車内待機で、大急ぎで中を見て周りましたが(アイドリングしたままでした すみません。クーラー切ると先生が死んでしまうので)境内、というか庭園内はものすごい蝉時雨で、びくびくものの踏査でございました(by 助手)

More;金沢の唐猫
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by nekomanisto | 2005-08-02 22:35 | - 金沢八景 称名寺