猫又、化け猫、福猫、猫のフォークロア


by nekomanisto

獅猫 -愛玩専用の猫-

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photo:動物の恋人

まぬる猫。アジア系長毛種のネコの源という説があります。これは仔猫らしいのですが、これはまぁマシなほうで、マヌルネコってサイト検索すると「ナニがそんなに気に食わないんだ?」と訊きたくなるような、苦悩に満ちた、若しくは単に不機嫌そうなブブブっとした顔の写真があちこちにあります。ぶすかわいいマヌルネコの赤ちゃんを見てきた | Excite エキサイト
ファンも多いみたいです。日本の猫…イエネコの歴史について、ちょっと思案投げ首状態なので、気を取り直して、では唐猫について調べてみようと思い立ちここ数日費やしていたのですが、中国が南宋時代のころ、(1127~1279)都の王公顕貴や諸司の人々が愛玩専用に珍重し可愛がっていた、「ネズミをとらない」(と わざわざ書かれている)『獅猫』(獅子猫という表記もあり)とよばれる猫がおりました。毛が長く、黄白色をしていたそうです。『獅猫』は「西洋諸国」に産すると伝えられていたそうですから、今でいう、ターキッシュ・バンとかチンチラのもとになるような猫だったのでしょうか。既に、このころには、猫をペットとして売る専門の商人『売猫児』、猫の餌用の魚を専門に商う『猫魚』、(魚?! すでにこのころから猫は魚を食べていたのか…じゃぁ、今更魚はいけません!っていったって、アジア圏で暮らす僕らはかなり魚食にも適応しているはずですよ。ちなみに僕は魚はかつをとわかさぎのにぼしが好きです。)猫の小屋専門業者の『猫窩』などがいたことが記録に残っています。珍奇な猫の噂をきけば、金に糸目をつけず手に入れようとした様子も残っています。

中国では、猫を最初に連れてきたのは三蔵法師という説があるそうです。まさに経巻を守らせるためにインドから連れ帰って飼ったものが最初であるということだそうです。
…だとすると、中国に仏教が伝来したのが紀元前ぎりぎりごろ、そのころ縄文・弥生時代の真っ只中だった日本と中国との間に交易があったとは考えにくいし…いや、でも倭の奴国王(どうしてもこれ、やっこ国王と読んでしまう)が後漢から金印を貰った頃には中国本土に猫はいたはずで、金印と共に、渡航の食料を船に巣食うネズミから守るために猫が乗ってきた可能性もないとはいえない…これが、日本最初の猫バカだった宇多天皇をして、「そんじょそこらの猫」といわしめた「和猫」の祖先になった可能性はあるといえる。
でも、貝塚でネコの骨が出土する説明にはならないか…。

しかし、中国には猫のモトといわれる猫と同じ系統のヤマネコ達が多数生息していたわけだし、独自に「イエネコ」化していたヤマネコたちが普通に棲息していた可能性もありますね。
それなら、弥生の人々がそれら「猫」たちを連れて渡って来た可能性もあるわけで…。
香箱を作れるか作れないかで猫が動物学的に二系統に別れるという説もありますから 猫はエジプト原産とは限らないかも知れないですね。
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# by nekomanisto | 2005-08-08 15:11 | 伝承

称名寺

いつごろから「ネコ」が日本にいたのかで、途方に暮れていたので、ちょっとそれは脇へおいといて、唐猫の伝説があるお寺さんに行ってきた。

称名寺 神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1 地図
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ここは もと北条実時の別荘に持仏堂を建てたのがその縁起だそうだけれど、現在は昭和47年に国指定の史跡となって、古文書をもとに復元された姿となっている。
復元が完全に終了したのかしていないのかわからないのだけれど、本堂の他に、妙な場所に祠だの若宮だのが ぽつりぽつりと建っている。
建立は1267年。そして寺に収める経典を載せた3艘の唐船がやってきたのだが、その船には経典を鼠から守るために連れてこられた唐猫がいたという伝説がある。唐船は唐猫を経典と共に金沢に遺して唐へ戻り、残った唐猫たちの子孫が「金沢の唐猫」として有名になったという。

ということになっているのだけれど、(手許にある参考書では)寺周辺に猫の姿はなく、唐猫伝説云々に関する資料も見当たらなかった。ご住職も大黒さんも見当たらず、話をきくことはできなかった。
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山門脇に打ち捨てられていた石のお稲荷さん。一瞬猫かと思ってしまった。
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池には、わたしも昔飼った事のある「ミドリガメ」の成長した姿。たしかこの亀、獰猛なんだとかきいたような気が…
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『すいません、ここに、唐猫の伝説があるって、ご存知ないですか?』
『ないねぇ』

今回は、非常に暑かったため、かー先生は車内待機で、大急ぎで中を見て周りましたが(アイドリングしたままでした すみません。クーラー切ると先生が死んでしまうので)境内、というか庭園内はものすごい蝉時雨で、びくびくものの踏査でございました(by 助手)

More;金沢の唐猫
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# by nekomanisto | 2005-08-02 22:35 | - 金沢八景 称名寺

縄文時代の猫

縄文時代の貝塚から猫の骨が出土しているらしい。
今、手許にある資料には、猫の骨の出土地、とあるだけなので、猫って、イエネコなのか、ヤマネコなのか、どっちだか判らないのだけれど、メモとして以下、羅列しておくことにする。

貝塚名      所在地
一王寺      青森県八戸市コレ皮一王寺
椎塚        茨城県稲敷郡江戸崎町高田椎塚
真福寺      埼玉県岩槻市真福寺
大井権現町   東京都品川区大井権現町
馬込        東京都大田区馬込4丁目
下沼部      東京都大田区田園調布
高田        神奈川県横浜市港北区高田町
野島        神奈川県横浜市金沢区六浦島
中興        新潟県佐渡郡金井町金沢
石山        滋賀県大津市石山
権現山洞窟内  島根県八束郡美保関町森山
有喜        長崎県諌早市有喜町六本松
伊川津      愛知県渥美郡渥美町伊川津
日向洞窟     山形県東置賜郡高畠町竹ノ森

More;猫土偶?
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# by nekomanisto | 2005-07-28 21:34 | 付箋

日本最初の猫嫌い

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書物に残る、日本最初の猫嫌いは、今昔物語に出てくる「猫恐の大夫」(ねこおぢのたいふ)と笑われている藤原清廉(きよかど)。猫を見ると、どんな場合でも顔を被って逃げ出してしまうので鼠の生まれ変わりと噂されたとか。
オカネモチだというのに年貢を全然おさめなかったこのおっさん、国司藤原輔公(すけきみ …親戚か?)に膝詰談判され、それでも払わないとつっぱねたら、輔公から猫責めにあって、泣きながら証文を書いたんだそうだ。

その時に脅しに使われた猫は長さ1尺あまりの大きな猫で、琥珀色の目をしていたそうだ。それが5頭部屋に入ってきたそうだから、キライだったというか強がっていた清廉は、そりゃ泣き出すよね。ちょうど僕ぐらいの大きさだけど、それでも当時はかなりの大猫だったのだろうか。
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# by nekomanisto | 2005-07-28 20:38 | 伝承

猫の大きさ

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歌川国芳:猫のすずみ(国芳の猫浮世絵は、元祖なめ猫だー)

ちなみに、僕の体格は、頭から尻尾の付け根までが約45センチ 尻尾が約30センチ、体高は、肩から地面までが約31センチ 体重は4.5kgです。どちらかといえば大柄な方だと思います。天敵の主治医が、僕をみて「わ、でかっ!」って言いましたからね。

古い文書に書かれている猫の体格については、前出の「宇多天皇御記」にある体長45.5㎝ 体高18㎝ が一番古い記録だが、この寸法はちょっとおかしい。
(一説には、香箱をつくっている姿ではないかといわれる)
ただし、体長が、尾の先まで含めた長さであれば、若しくは、にゅーーーーーんと延びきった姿を測ったものであれば、納得できなくもない。いずれにしても、当時のほかの周囲にいた猫よりは小柄であったらしい。
今昔物語の「猫恐の大夫」に出てくる、「灰毛斑なる猫の長1尺あまり」とあるので、これが尻尾を含めない体長であれば約30㎝、ほぼ現代の我々一族とかわりない。
「古今著聞集」には、宰相中将の乳母の猫は高さ1尺(約30㎝)。これもまた普通サイズである。
ぐっと年代が下って、山東京山の「朧月猫乃草紙」に出てくる雄の大猫の「玉」というのが、「大きさは常の猫三ツ合はしたるほど」「おもさは二歳の小児」で、雀も鼠もひと睨みで逃げられなかったと書いてある。
江戸時代の瓦版にこんなものがあるそうだ。麻布笄町(…今のどこらへんだろう)大名屋敷で、ご隠居づきの盲目の鍼医者が、狐に化かされた。(ああ、またきつねだ…)主人が怒り、狐を毎夜捕らえさせたところ、5疋目に大猫を打ち取った。全身斑の二股の尾の猫の絵が添えてあって、「其ねこ、おおきなること古今ためしを聞かず、尾二股、立丈壱尺三寸(約39cm)横三尺二寸(約97cm)」と書かれているという。この猫が4匹の狐の親玉だったのだ、ということになったらしい。どうせ誇張するならもっとトラぐらいに大きくしたらいいのにー。

東北には山猫の伝承が何故か多い。伝承だけでなく、実際に捕らえられて殺され、毛皮の残っているものもいくつかあるようだが、いずれも野生化したイエネコ、ノネコであって、山猫ではないから、体格もほぼ僕と同じぐらいだ。伝承されている話はいずれも稀代の大猫なのだけれどね。
ギネスブックには、1977年、英国エセックス州のペルシャ系雑種猫の「タイガー」君というのが、体重19.5kg、体長94㎝という記録を残しているが、これはホルモン異常のためだったらしい。
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# by nekomanisto | 2005-07-27 17:03 | 付箋

猫の名前

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我輩は猫である。名前はまだない。
この書き出しは、中身を読んだことがなくてもご存知の方々がいるであろうぐらい有名だけれど、先に書いた元祖日本の猫バカであらせられる宇多天皇が愛猫には名前があったかどうか不明である。時代が少し下って100年後、一条天皇(これまた超猫バカだったらしい)が、猫の子が生まれたときに、人の子と同じ儀式を行い、守役の女官をつけ、宮中に出入りするためには位が必要だからと、五位の位を与え、「命婦のおもと」という名前をつけたというのが枕草子なんかに載っているそうだ。この名前が現存する最古の日本の猫の名前ということであるらしい。
…この猫が鼠を追っかけたりしたら、宮中の人々は「はれ、あなや、命婦のおもとどのが~」とか言っていたのだろうか。悠長すぎて、間に合わないな、きっと。
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# by nekomanisto | 2005-07-27 15:47 | 付箋

日本最初の猫バカ

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『台風がきているんだってね。蒸し暑くてかったるくって仕様がない。』

日本で最初に猫バカぶりを後世に遺してしまったのは、宇多天皇らしい。
そう言ったら、助手が妙な顔をした。理由をきいたら、母方の先祖が遡って遡っていくと宇多天皇であるらしいのだという。「姓は源氏宇多天皇が後胤、」で始まるらしい。助手の母親もその先は忘れてしまっているらしいが、そこから延々と時代が下って助手に行き当たる。知らなかった、助手は皇族の出なのかときいたら、なんのことはない、殆どの日本人は遡れば必ずどこかの天皇にいきあたるようになっているということらしい。それがよりによって宇多天皇だというのが「なんか因縁を感じるなー」とぼやいていた。
ところで、この猫、当時猫といえば浅黒い猫ばかりであったのに対し(浅黒い?)墨のように真っ黒だったらしい。大きさは長さ1尺5寸、高さ6寸、背をそびやかすと高さは2尺ばかりにもなる、と書いてある。なんだかむちゃくちゃだ。長さ45.5㎝、高さ16㎝では、マンチカンじゃないか。それが背を伸ばすと50㎝を超える?ゴム製の人形じゃあるまいし…。いずれにしても、どちらかといえば小柄な猫であったことは確かなようだ。奈良時代に日本へ渡って来たらしい我々の先祖は、経典を守って日本へ渡って後、そのまま日本でくらすうち、故郷の唐の猫とは体格や体色のが異なってきていたのだろう。だから唐猫の姿が特別な姿として皇族はじめ貴族方にウケたものであるようだ。しかし、浅黒いってどんな色なんだ。もうちょっとちゃんと描写せんかい。
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# by nekomanisto | 2005-07-26 23:45 | 伝承
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これからおいおいに訪問しようと思っている場所について、
覚書をしておこうと思う。書き出しておかないと、うちの助手は覚えきれないそうだ。
猫より大きなアタマしてて、猫より中身が少ないと見える。

東京都 自性院   2体の猫地蔵尊がある。秘仏で来年まで拝観できない
             ので、 来年まで行かない。
      大信寺   三味線屋「ねこ屋」の看板猫だった「駒」を祀った
             猫塚がある
      回向院   小判猫の墓がある。元祖ペット霊園
      豪徳寺   ボロ寺を再興した報恩猫がいたという 招き猫
             発祥伝説のある寺
      今戸神社 今戸焼きの○〆の猫発祥の地 
      永久寺   榎本武揚が仮名垣魯文に送った、つがいの山猫
             がねむる塚がある
      西方寺   遊女薄雲を救った猫が供養されているという寺。
             招き猫発祥伝説のひとつ。
      琴平神社 養蚕の守り神として猫神様のおわす神社

      簸川の猫股橋 現存するかどうかわからない。八犬伝で
                大塚家の飼猫・紀二郎が犬塚家の飼犬・
                与四郎に殺された場所。馬琴の墓の近所。
      猫又坂   夜な夜な猫貍が(これでねこまたと読ませる
             らしい。またタヌキだ)踊っていたという場所。
             もともとは橋があったところが坂になっている。
     (↑この猫又橋と猫又坂は多分同じ場所であろうと思われる。)
      漱石公園  復元された猫塚がある。表敬訪問せずばなるまい。

いずれにしても、暑いから、よく日を選んで出かけないとだな。
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# by nekomanisto | 2005-07-21 16:06 | 化け猫スポット【関東】

豪徳寺

伝説猫スポットへ

地図東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
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招き猫発祥の地(他にもいくつかある)のひとつである豪徳寺へ出かけてみた。
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これが正門。他に車が乗り入れられる門と、墓地に直接繋がる裏門とがある。
この寺は、もと貧乏な荒れ寺だったのを、住職が可愛がっていた猫(一説にはその名をタマというらしい)に向かって、「可愛がられてるんだから、なんか恩返ししてくれ」と言ったもので、(仏に仕える身であるというのに、報いを求めるとはどおいうこっちゃ)猫が立派な檀家(井伊直弼の先祖)を連れてきた。お陰で寺は大きくなり栄えた、という伝承のあるお寺だ。
e0023828_20564710.jpg確かに、最初小さな荒れ寺(とはいえ、昔のお寺の規模がわからないから、現在ある寺が当時としても大きいのかどうかちょっとわからないが)だったというのなら、猫の功績はかなりのものだったろうと思わざるを得ない。都内の23区内、住宅街の中にあって、大きな 「名刹」といってもいい寺だった。ちょうど、さらに正門を入ったすぐ脇、鐘楼の前に三重の塔を建設中だった。見上げた猫氏ではないか。助手も見習うように。(え゛?…わたしがですか)
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盂蘭盆会の最終日、送り火の日だったこともあって、境内は線香の香りが漂い、墓参りの人たちが多かったので、ご迷惑をかけてはいけないから、早々に乗り物に収まって、境内を見学する。(蚊も多かったしね)
本堂を正面に見て、左に回りこんだところに、招福堂というお堂があり、そこに「招福猫観音」という看板がかかっていた。いつのまにやら伝説の猫氏は観音様となったらしい。
お堂の戸はガラス格子で、閉まっていたが、両の取っ手のところに小窓が開くようになっており、そこから戸を開けずともお賽銭ができるようになっている。お賽銭をし、今後の学業成就を祈念したついでに、失敬して祠の中を撮影。
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見えますか?ご本尊は受付で売っているのと同じ招福猫児(まねぎねこ と読む)だった。両脇には奉納されたらしい大きな招き猫があり、写りきらなかったが、両方のカベにはおびただしい猫の写真や折り紙の招き猫や、数々の招き猫などがぎっしり飾られていた。
お堂の脇に、見事参詣した善男善女の願いを叶えてお役を果たし、ここへ戻ってきた猫たちが並ぶ棚が設えられてあった。
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仕事を終えてもまだまだ真面目な顔をして、仕事をしたそうに見える諸氏。
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棚はこんなふうに設えられている。
e0023828_2137142.jpg棚の脇にはなんだかリラックスした感じに座った菩薩像があって、如是畜生發菩提心の文字が読み取れた。その脇に、猫塚らしき石礫があったけれど、ほとんど野ざらし状態で、なんとなく扱いがゾンザイな気がする。もともとこの猫塚はあとから作られたものらしいが、それにしても、三重の塔を建設する前に、このうち捨てられた猫塚の石をなんとかしたほうがよくはないか?
招福堂の門内、はいってすぐの左脇にはちいさな祠があって、そこには三面の仏像があった。正面の顔の頭部には、馬とおぼしきれリーフがあったから、馬頭観音かな?
e0023828_2144219.jpg馬頭観音が招福猫観音の脇に控えておいでになるということなのかな。

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ご本尊の祠の両脇に吊るされていた豪徳寺公認の招き猫風鈴。なんだかなさけなさそうな顔で風に揺れていた。恩返ししたのに、吊るし上げ喰らうなんてさ、ってところか。でも風鈴ってもともと魔除だったそうだからね。
受付で小さな2号という招福猫児を頂く。もっと小さな豆というサイズもあったけれど、小さすぎて顔がよくわからないことになっているのでやめにした。助手はそもそもあまり招き猫が好きでないというが、ここの猫はシンプルで可愛らしいと気に入ったようだ。
猫観音の賽銭用小窓の脇にはおみくじの自動販売機があって、(お寺さんなのに御籤とはこれいかに)引いてみると大吉だった。助手のぶんもひいてみると、全く同じ番号の大吉だった。さてはあの自動販売機には8番の大吉しか入ってないなぁ?


後記:H21.2.14 三重の塔は完成しているようですね。
猫のおきて

More:招福猫児の由来
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# by nekomanisto | 2005-07-18 22:26 | - 世田谷 豪徳寺

閑話(^^;

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Photo:動物の恋人

…なんか、こういう顔のヒトがいますね…。
ぶすかわいいマヌルネコの赤ちゃんを見てきた | Excite エキサイト
ちょっとマヌルネコに寄り道。
我々イエネコの源流といわれたこともあるそうで。
マヌルというのはモンゴル語で「小さな野生ネコ」という意味だそう。小さなってことは大きいのがいるということか…ユキヒョウとかかな?
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# by nekomanisto | 2005-07-15 22:37 | 付箋